あたりまえのものさし

第2回

意識して堅固にしよう 「人間の 『心の防波堤』 『心の堤防』 」 

~私の想い。優しい易しい世の中に~


ここのところまた国内外で 「悲惨な」 「嫌な」 「有りえない」 事件報道が続いています。



このような報道に接するといつもいつも私の心にはある文章が自然に浮かんできます。



それは人間として社会でいきていく時、一人一人のにんげんが意識していきたい、いかなければいけない、ともう30年ほど前にいつものように 「自分自身に問いかけ、言い聞かせる言葉」 として書いたこと。



今も変わらずに心に置き続けていること今回はまた改めて書いていきたいと思います。




  優しい易しい地球社会としていくために

   一人ひとりの心にある

    にんげんとしての

  『心の堤防』 『心の防波堤』 」 

     定期的に自己点検

   &修繕工事を実施して

  いつも堅固なものに!!!!!!!!!!!!!!


          ~変わらぬ私の想い~

                   by入道


         防波堤


日本では暴力犯罪、特に殺傷を伴う事件がまた重なって起きて
いる。 しかも親が子供をとか、子供が親をとか・・・人間としてのあたりえの心からすると有りえないような事件が・・・。
また昨年フランスでの30分の間に7か所、3チームで分刻み
襲撃で多数の死傷者をだしてしまった 「パリ同時テロ」 。
本来一人ひとりが 『弱い存在』 であるがゆえに群れ・集団=社
 「助け助けられで生きていく」 ことを決めた人間としてのあたまえを無視しての動きが国内外で数を増し、しかも残酷化してきているとてもとても嫌な状態になってきてしまっています。
殺傷事件は残念ながら昔から起っています。

しかし、現代の犯罪は明らかに昔の犯罪とは異なる 「嫌な特徴」 ある、と感じています。
それは 「積年の恨みつらみが積もり積もって」 「思い余って」 とった状況での犯罪ではなく 『瞬間的』 『意味のない?』 『傷つける、痛みつけることだけが目的』 『うさばらし的』 そして・・・・弱い者いじめ的、自分勝手な暴力殺傷になってきている、

非常にまずい、嫌な状況になってきている、と想っています。
 『ぶちぎれる』 。

              

 ぶちぎれる



こんな言葉に代表されるのかもしれません。
では・・・、何がぶちぎれる、のでしょうか。

感情が抑えられない、我慢できない、イライラの発散を暴力

求める。



 『自分を自分が抑えられなくなる』 自律からの離脱!!なのではと思うのです。
切れるのは 『自分の心の 「堤防」 「防波堤」 』 なんだ
私は思っています。
この 「心の堤防」 はにんげんであれば本来、誰でも持っているものであり、本当はその人の時間的成長と共にこの
堤防も自分で堅固頑丈にしていく、頑丈なっていくものである、と思うのです。
では、この 『心の堤防」 とは何が流出あるいは流入することを
防ぐための 「堤防」 なのでしょうか。
それは

 『自己本位』 『欲望』 『わがまま』 『自分勝手』 

 『自己中心』 『自分』 なのだと思います。

だから!!
この人間の 「心の堤防」 は 『自制』 であり 『自律』 そして他に対
ての 『おもいやり』 = 『人間性』 = 『人間らしさ』 = 『愛』 ・・・・・で形成されており、 『理性』 そして 「自制」 「倫理」 に連なるものでもあります。

 「自制(orおもいやり)の堤防」 が切れた、決壊した時、人は他人に優しくなくなり、自我・力づく・殺傷・暴力・・・こんなものがその人の心に侵入し、心を溢れさせてしまう、のです。
 『感情が理性を超えてしまう』 のです。
本来、人の心の中でその人の感情を抑えるべき 「理性」 が発達
していない、備わっていないのだろうと思います。

 『にんげんとしてのものさし』 ・ 『社会人としてのものさし』 を持たずに 「自分勝手な自分だけのものさし」 だけを持っている日本人、地球人が増えているのかもしれません。
日本人は本来 「優しい」 「たすけあいがあたりまえ」 の人間集団の
はず、なのになぜなのでしょうか。
考えますと、ひとつ大きな原因が浮かび上がってきます。

それは 「少子化」 。そして少子化の状態なのに 「核家族化」 そして遊びもみんなで原っぱででから 「一人で液晶ゲーム」 などに見られる 『脱、集団生活化』 にあると私は思っています。

一言で言ってしまえば 「集団で生きていくための教え(理性・倫理)」 を心の中に種をまき、育てていく機会が家庭でも学校でも、そして遊びの場でもなくなってしまっている、のです。
集団の中に生きていれば自然と身に着くものが 「その機会」 が
ないがゆえに心に根付かないのだと思うのです。
違う表現をすれば・・・ 「子供(人)
の 『心の逃げ場』 の喪失』 !!なのではとも思います。  

      叱られる


親に叱られる、すぐ傍らに 「じいちゃん・ばあちゃん」 がいればそんな子供を慰めてくれる暖かく包んでくれたし、たしなめてもくれる。そのような存在(祖父母・兄弟)が身近なところにいない・・・。


       家族



外に飛び出してみんなで汗かいて工夫して遊んで発散することもできないし、子供同士で遊びの中から 「規律」 とか 「年上とのつきあい方」 とか 『やっていいこと・だめなこと 』 =ヒトとして=自然に身につける機会もない・・。

これでは、子供は 「叱られっぱなし」 「怒られっぱなし」 になり、 「爆発」 にしか心を解放することができなくなってしまいますし、それが怖くて親は子供を叱れなくなってしまう・・・・。

人間が人間社会の一員として生きていくために必要な理性・倫理、 「心の堤防が形成されていない」 「心の堤防の高さが充分でない」 「心の堤防の堅固さが足りない」 見かけだけの大人の集団に日本も地球もなりつつある、そうなってきている、そう思います。

本来の日本人の 『大きな民族的財産』 である 「他人に対する優しさ」 「自然に対する優しさ」 「自然に対する畏敬の気持ち」 を取り戻すための社会的な展開をしていかなければまずい、こんな想いが年々強くなってきています。


 『ご自身の 「心の堤防」 』 。
しっかりしていますでしょうか。高さは十分ですか?強さに耐えられる堅固さは十分ですか?
残念ですが会社組織、職場でもたまに見受けられませんか。
自分の感情を抑えられずにもろに感情をぶっつけている人。特に役職者にこのような人がいると大変です、たまりません。
理由も何もありません。


在るのは 『気に入らない」 「自分の思うようにならない」 

 「自尊心を傷つけられた」 「自分を守りたい」 ・・・・

こんな 『自分』 だけであり、他人(相手)のことは全く何も考え

れない状態。



完全に人間としての 「心の堤防」 が決壊している、のです。
昔きいたことのある 『世界の中心で愛を叫ぶ』 の 「セカチュー」 ではなく、 『自己中心』 の 「ジコチュウ」 の世界に入り込んでおり、そんな状態の人には誰も近づきはしないのです。
いつも心していきたいと思います。

今の自分のこころの堤防はしっかりとしているか、補修を

必要とする箇所はないのか、の自己点検(自己確認)と定期的な 「自分のこころの堤防の大規模修繕工事」 の実施!!


        心


 「ご自愛」 と同時に 「ご他愛」 を!!!!!!!!




今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

ありがとうございました。


他人の嫌なところはすごく気づくのに

自分自身の嫌なところって

そのこと自体をほとんど考えない


今の自分の言動そして表情は

 他人から見たらどう感じられるのか

そんな動きが

 「心の堤防」 を堅固なものにしていく

 そう思っています。


客観的に自分を見つめられる存在の自分を

いつも持っておくこと、となります。


これからも

心に留め置き実施していこうとの想いを

改めて強くしております。


ありがとうございます。


      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

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