あたりまえのものさし

第3回

解っているようで

一番解っていない存在 多分、それは『自分』

~私の想い~


沢山の人たちと一緒に

沢山の人たちに支えられながら

一日一日を重ねている


自分と接する

自分に接してくれている人たち

その人たちは他人


他人・・・・

自分以外の人たちのことは

良いところ、悪いところ含めて

理解したり

批判したりしている


特に組織で上位者

マネジャーの役割を担っている人たち

他人から「先生」と言われている人たち

この人たちは日常的に

他人のことを「評価」している


対して

自分の評価はしないし

多分、できない・・・


良く考えてみると

一番解っていない存在は

きっと

自分』なんだと想う


私って、俺って

「どんな存在なのか」

「どんな人間なのか」

・・・・・・・・・・・・


自分以外の人たちに

対して自分が自然の内に

やってきた、やっている

考えるよりは

感じることで行っている

その人(ひと・他人)の

「いいところ」「嫌なところ」区分


他人のことは言ってきているんだけれど

自分に対してはどうなのだろうか


自分の子供に要求していることを

自分はきちんとやれているのだろうか


私の、俺の

「人間としての『いいところ』そして『悪いところ』って

何なんだろう

どういうところなんだろう


改めて

他人に感ずるような心のレーダー

自分を探索したことって

あるのかな


自分自身の評価シートに

半年に一度、コメントして

自分自身を評価していますか


ないですよね・・・・たぶん・・


自分のできること・できないこと


誰が決めている?


それは自分


できない、苦手だとしている事柄

全てをやってみて、の末なのか


やってもいないのに

「苦手」「できない」としていることって

きっとあるんじゃないのかな

たくさんあるんじゃないかな


後輩とかメンバー、そして仲間に

「頑張れよ」「がんばらなくっちゃ」

「変わっていかなくちゃ」と

要求していることを

少なくともそれと同等に

そして

他人に要求する以上に

自分に要求しているのだろうか


自分自分を感ずる・・・・

自分自分を評価する・・・


多分、徹底的に

意識していなければ

きっとできないこと


自分自分にやはり甘くなる・・


他人に求めていることを

自分自身にも

本来

求めなければいけないんだと

私は想う


他人に要求していることは

当然に

自分が「できている」ことなのかな

自分にも課していることなのかな


そして

自分のできないこと、ところを

補ってくれているひとには

いつも

「ありがとう」と言っているんだろうか


できもしないのに

できる素振りをしていないだろうか


組織で仲間と一緒に動く機会が

できて

自然にそう想うようになりました


他人に厳しく

自分に優しくなっちゃうのが

人間・・・・・


組織・・・

二人以上の人間の集まりが組織

家庭も会社も地域も・・仲間の集まりも・・

みんな組織


組織の一員として生活していくために

ひとつの「約束事」があるんだと

みんなが思って動くと

優しい組織になっていく

私はずっとそう想いやり続けている


ひとつの約束事

それは

『他人(ひと)に優しく自分に厳しく』

これだけなんです


そのためにも

わたし、私、自分って

「どんな『人間』なんだろう」って

考えてみませんか


他人に指摘し指導する「1.2倍」を

自分にも・・・・・


他人の心に映っている自分

他人の心に感じられている自分

他人にとっての「いい自分」

他人にとっての「嫌な自分」

・・・・・・


他人の心が自分に100%跳ね返ってくれば

いいんだけれども

そんなことはない・・・・


と、すれば

たまに自分の心を他人の心に置き換えて

自分の言動を

振り返ってみること、が

大切なんだと私は思います


そして

自分」って『ずっと一定』『不変」なんかじゃない、

んです。


このことは「自分以外の人(他人)」も

同じなんです


人間って

どんどん変わっていく

どんどん変わっていけるんです


66歳の私も

まだまだ変わっていけるんですよね


変化への動きをしていれば

一年前の私と今の私は異なる人間と

なるのですが

きちんと違いを自分自身で

把握しているのでしょうか


把握できているのでしょうか


他人も同じ・・・・

どんどん変化している、んです


一年前に感じたことをものさしとして

今の「あの人」を観ちゃいけないんですよね


そんなことしたら

「今のあの人」が見えないのだから

せっかく、今のあの人に会っているのに

「一年前こうだったから」の

自分勝手な想いで

機会を消し去ろうとしちゃっている・・・


そんな風に想うと

他人のことも

自分のことも

みんな「わかっている『つもり』」だけなのかな


つもり」と「本当」は異なる

そう想います


自分はどんな人間ってことを

ここに当てはめてみると・・・・


つもりの自分」は

自分だけが解っていると思い込んでいる自分


本当の自分」は

他人の心に映っている

他人が心で感じている「自分」


本当の自分」を

自分で客観的に感じていくように

してみませんか


自分で「客観的に」は

自分って人間を

他人がどう感じ取っているのか、と

言うこと


他人に対しては

自分もしているのだから

意識しやれば

きっとできるのにやらない・・・・


やろうよ


自分をたまに

第三者の心で振り返ることを


自分を

客観的な心で見てみることを


だから

私はいつも「三人の自分」を

自分の中に置いておきたいと

想うのです


「考える自分」

「行動する自分」

そして

そんな自分を

「客観的に見つめている自分」


まとめちゃうと第三の自分

自分の言動をチェックする自分』に

なるのかな


他人の心を拝借して

自分を発見していく


だから

生きている内はずっと

自分探しの旅」なのではとも

私は想います


自分に厳しく

そして・・・他人に優しく

・・・・・・・

・・・・・・・




今回も最終行にまでお目を進めていただきまして

ありがとうございます。


解っているようで

実は自分が一番わかっていないのは

「自分」!!!!!


これも私自身がかれこれ30年近く

いつも忘れないように

してきていること、でもあります。


他人には厳しく指摘し、要求するのだから

最低でも

同じ程度で、普通なら他人に要求する「倍」を

自分自身に課すべき

これが私の想いであり

やり続けてきていることでもあります。


意識し続けていないと

人間って

他人に厳しく、自分に優しく

なっちゃうんですよね


注意、注意です


ありがとうございます。

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ入道(入村道夫)

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