第6回
『時短』そして『プレミアムフライデー』
『勤務間インターバル』等から想うこと
対応するべき「二つの側面」の大事な一つの側面を忘れているのでは
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人間=肉体(身体)+精神(心)
~私の変わらない想い~by入道
勤務間インターバル規制: 毎月最終金曜日は午後3時をめどに従業員に仕事を切り上げさせ、消費を促す制度。 |
●労働時間短縮(時短)、そして退社時刻から次の出社時刻まで
の「間の時間を確保する」インターバル規制と言うことが、今開
催中の国会で議論されています。
●過労死対応としての出てきているこれらの施策を考えるつど、
私は大きな疑問を感じています。
●それは『人に対する問題・課題』に対処していく時には『いつも
人間の2つの側面』から見なくてはいけないのに、国会でのやり
とりではいつも一つの側面が忘れられている、と言うことです。
●そんな疑念を持っていたところにまた新たな「施策?」「制度?」
「仕掛け?」が姿を現しました。
それは政府と経団連(会社)がこの2月24日から始めようとし
ている『プレミアムフライデー』!?。
とっても不思議な気持ちになっています。
とってもおかしな気持ちになっています。
そして
とっても嫌な気持ちになっています。
★国、政府と企業(会社)が一体となって、官民連携で「人間に関
わる事柄』を、どうして『一つの側面(労働時間・肉体(身体)』だ
けからの動きをしているのだろうか?
★日本を、日本人をどこにもっていこうとしているのか、どんな
日本そして日本人にしようとしているのか、本来あるべきこの強
い「目的・想い」?を感じることができないのです。(私には)
★言い過ぎかな、とは思いますが「労働時間を少なくすれば全て
解決するのだ」と考えているように思えてならないのです。
とっても疑問に感じています。
とってもさびしい気持ちになっています。
●かつて・・・・・・1960年台・・・。
「ヨイトマケの唄(当時、丸山明宏さん、現美輪明広さん作詞作
曲、1966年)
「釜ヶ崎人情」(もず唱平さん作詞・三山敏さん作曲1967年)
「山谷ブルース(岡林信康さん作詞作曲1968年)」といった働
くことをテーマとしての歌が「ラジオ」から流れていた時代・・・
そして
西欧国から「日本人は『働きすぎだ』」の声が出ていた時代と
現在・・。
●土曜日が半ドンを経て、休みとなり制度として「週休2日制」
に。
そして「祝日」も増えて、できるだけ連休となるようにいくつか
の祝日は毎年のカレンダーによって日が変わることにも・・。
●1年を『52週』とすれば『日本人は働きすぎ』と言われていた
時と比べれば、土曜日が休みになったことで単純に「52日」
休日が増えています。
●そして、「国民の祝日」も増加しています。
国民の祝日
1965年9日1966年11日1967年12日
1986年13日1989年14日1996年15日
2016年16日
日本の「祝日」数は先進国ではたぶん、最多なのでは・・・・。
●日本人の働き方は「時間」だけでなく働く「業種」(第一次・第二
次産業から第三次産業へ)、そして働く「職種」も「50年」の間で
とてつもなく大きく変化しています。
◆しかも、私も属している「団塊の世代」は既に働く場から退出し、
それに「少子化」の現実が加わり、正に「労働人口の減少」の
日本となってきています。
このような「日本の明日・未来の日本」を考えた時に本当に
「働く時間を短くする『だけ』の施策と制度」に対して「これで
本当にいいんだろうか」と正直に感じています。
★今は更に労働時間を短縮して『形式としての休み』『理屈として
の休み』を多くすることよりも『今の制度」そして『今の会社の規
程』に定められて?いる「休みをきちんと休めるようにする」「有
給休暇は胸を張ってみんながとれる」等々・・・・
『制度」「規程」と『現実」のギャップを埋めていくこと?が必要だ
と思うのです。
★現在の「法」で定めている各種制度、そして各企業が制定して
いる社内規程(社内制度)が「単なる飾り」ではなく、「制度と実態
が合致している状態」を形成していくことが本来的に必要なのだ
と正直に想うのです。
★ともすると日本では「制度」を作ったらそれで終わり、制度を創
ることが『目的』となりがちなのですから。
●同時に、「組織で働く」と言うことに立ち還って、真にその状態
(組織ではたらく)を実現していくことが絶対に必要である、とも感
じています。
組織で働くということは
『組織の構成員全員で『助け合って』働く』と言うことなんだ
と私はずっと信じてやってきています。
●過労死の問題が報道される度に正直、私は不思議に感じること
があります。
それは「何で組織の仲間が気づかないんだろう」「どうして組織
の仲間に相談しないのだろう」そして「どうして会社を辞めるという
選択が先に?出てこないのだろうか」と言うことです。
●「組織の仲間」は「上司」だけではありません。先輩・同期の人達
そして後輩・・・組織の全ての人たちが「仲間」なんです。
(会社組織とは違いますが「家族・両親」も仲間です)
●「労働時間」以前に「気づかない、相談しない、相談
できない」、このことが一番の問題・原因
なんだと私は強く想います。
●そして今ひとつ。
働く人たちがみんな「何のために働くのか」と言うことを
きちんと考え、一人ひとりが自分で「働く『目的』」を持って仕
事をしていく状況を創りだすことが必要だと強く感じてもいます。
●前記した1960年台~。ほとんどの人達は正に「肉体労働」、
今とは比べられないほど朝早くから暗くなるまで働く環境も劣悪
状態で身体に汗してしんどい仕事をしていました。
一部のヒトだけではなく、「ほとんど」の働く人達は肉体(身体)的
に、そして「時間」的にものすごく辛い、しんどい・・・・
でもみんな「働く『目的』」をしっかりと持っていたと思います。
今の自分のつらさ・しんどさのむこうに
明日の「家族の笑顔」がみえる・・
・働いて「家族を食わせていく」
・働いて「家族みんなで楽しく生きていく」
・働いて「家族の生活をちょっとずつ上げていく」
・働いて「あれを実現しよう」「あれを買おう」
「あんな生活をしよう」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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●永い年数をかけて「物的豊かさ」がほぼ行き渡った頃から、
『1億総中流化」の言葉が出てきた頃から、日本人は「働く目的」
を持たずに働く・・・?「働くことを目的」に働くようになってしまって
います(by入道)。
★こんな現実を重ねてきていることにも「楽しく働けない原因」があ
るのでは、とも想っています。
1960年台物的満足 < 精神的満足
現在物的満足 > 精神的満足
●政府、国と経団連の今の動きに対して私が気になるところ、私の
心に「へんだな」と感じさせるところは『はたらく』主体であるひとり
一人を「主役」にして考えるのではなく、勤務時間短縮・インター
バル・プレミアムフライデー、
いずれも『企業(会社)・組織』を「主体」として講じる制度になって
いる、ということから生じてきています。
★働くひとり一人を主体として「こうしましょう」「こんな働き方にしま
しょう」「楽しく働きましょう」となってはいない、のです。
●言葉で表現すると「働かせる」(働かせてやる?)「休ませる」(休ま
せてやる)であり、働くひとり一人が主体的に「働く」そして「休む」
ではないんです。
●そして今ひとつは「時間」だけ、「肉体(身体)}だけに囚われてい
る、そこから出てくる『制度』になっている、と言うことでもあります。
★私は昔から「人・人間に関すること」を考える時には「必ず人を
形成する2つの側面」からしっかりと確認しなければいけない、
と自分に課してきています。
★2つの側面。それは・・・・人間そのものを形成するの2つの面、と
言っていいのかなと思っています。
人間=肉体(身体)+精神(心)
↓
肉体(身体)と精神(心) この2つです。
●解決策は「肉体(身体)と精神(心)」の両方に「ゆとり」を生じさ
せるものでなければならない、と想うのです。
★働くことでの「疲労」は肉体(身体)だけに生ずるものではありま
せん。精神(心)にも大きな「疲労」が生じます。
そしてその対処法も異なるものです。
★私の経験からすれば「精神(心)の疲労」の方が重たい問
題なですが、今議論されている施策については残念ですが、
対処されていないと感じています。
肉体(身体)疲労→休息・睡眠
疲労
精神(心)疲労→リラクゼーション・気分転換
はたらく目的の明確化
(今のしんどさは何のため)
(何のために自分は働くのか)
★精神(心)の疲労は「時間短縮」では解決しないのです。
解決できないのです。私の変わらない想いです。
肉体(身体)のゆとり(満足) →時間
ゆとりの創出
?精神(心)のゆとり→仕事内容・やり方?
はたらく目的の明確化
●「ゆとり」は「満足」に置き換えられると思います。
★そして「どちらが大切か」と問われれば私は躊躇なく応えた
いと思います。
それは精神(心)のゆとり(マンゾク)です、と。
●精神(心)満足は肉体(身体)の苦痛を和らげることはできると
思いますがその逆、?
肉体(身体)の満足が精神(心)の苦痛を和らげることはできない
と想うのです。
●時間だけでなく働く人たちの「精神(心)」の面から、「どうしたら
いいのか」を改めて考えていくことが絶対に必要だということを
記して「長文」の結びにいたします。
今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
日本と言う国・・・
何時の頃からなのか問題・課題が生ずると
新しい法を制定したり新しい制度を創ったり
この繰替えしになっているように感じてなりません。
そして
同じような動きが企業体にも・・・。
法律に触れないように、後ろ指指されないように
新しい社内規定を策定する
でも
その規定どおりに現実を合わせていく、と言う動きは
多くのところではとられていない、と感じます。
何か生じた時には
「会社は規程もあり、全員に指導しているのですが・・」と
会社を守る手段に???
制度を重ねていくだけでは絶対に解決とはなりません
むしろ!!!!!!!!!!制度規定が無くとも
沢山の人々が「楽しく働いている」状況を
どうしたら構築していけるのかを
考え、行動に移していったらいいのにな、と想っています。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ入道(入村道夫)