現場コラム【訪問介護の仕事から】 -2-
「生活支援」の難しさ-「調理」の場合-
前回、訪問介護は利用者の自宅に上がることから始まることを書きましたが、その続きです。各家庭の玄関を開けた時、その家ごとに玄関の様子が違うことはもちろん、その家ごとの空気や香りが“それぞれ”なことに気付きます。
「さあ、○○さんのお家で仕事だ!」と、気分も新たに(その前に訪問したお宅を頭から消し去り)、「失礼します」と家に上がります。
利用者に挨拶し体調を確認して、今日の業務に入ります。今日は、訪問介護の生活支援の一つである「調理」の場合について、お話しましょう。
利用者の食欲や食べたいものを伺いながら、台所をお借りして冷蔵庫の中身を見て、「調理」に取り掛かります。当たり前ですが、包丁、まな板、鍋、菜ばし、皿等の道具の置き場所から、米、調味料の類、食材の保管方法などすべて、各家庭ごとに違います。頭では分っていても、いざ“現場”に立つと、戸惑う事がしばしばあります。
それを一軒毎に把握し、自分で効率よく動かなくては、何品かの調理から使用した道具等の後片付けまで、契約時間内に終えることはできません。場合によっては、調理の前後や間に洗濯や掃除が入ったりするのですから、余裕はありません。
その「調理」で気をつけなければいけないことがあります。高血圧や糖尿、腎臓などの疾患に伴う食事の制限や治療食が必要なケース、また、歯が悪い等の身体状況を勘案したきざみ食、ミキサー食が必要なケースなどです。
更には、利用者毎に好みに応じた素材の柔らかさや味つけをしなければいけません。
それらに配慮しながら、決められた時間(30分とか60分)で「調理」するのです。
時間通りに卆なく調理したつもりでも、利用者に食べてもらうと「大根がまだ堅い」と不快な顔で言われたり、「味噌汁が濃すぎる」という声が返ってきたりして、慌てたりガッカリしたり…。そんなこともしょっちゅうあります。
改めて反省してみると、自分が早く業務を片付けたいとか、利用者に自分がよく見られたいなんていう、ちょっとした「自分」中心の欲が、食べる人の体調や美味しく食べてもらいたいという気遣いより勝っていると、調理したものの堅さや味が、利用者の許容範囲を超えてしまい、不満に繋がってしまう、という事に気付かされます。
介護サービスを利用する人もそれぞれです。好みや疾患の程度も一人ひとりが違い、誰一人として同じということはありません。だから、利用者の身体状況や食事の好みへの配慮をどれだけ調理に反映できるか、言い換えれば「その人への思い」が、とても大事なのです。
料理は愛情と言いますが、介護での「調理」も家族や大切な人のために作る料理と同じことなんですね。お母さんが作ってくれたカレーのじゃがいもが多少堅くても、許せてしまうことってないですか?
単に、素材の良し悪しや調理の上手下手だけではない、また「調理」という行為を介した関係だけではない、利用者と介護者の人間関係、信頼関係のありようで、利用者の介護への“満足の範囲や感謝の水準”は大きく違ってくるのではないでしょうか?